頑張るということに抵抗

努力

ここ最近、「頑張る」という言葉をよく聞くようになりました。
この頑張るという言葉、個人的にすごい違和感というか、抵抗があるので、忘れないうちに記しておきます。

実体験

努力

まず俺は日本一周前、2017年までは愛知県の設計会社に就職をしてバリバリ働いていました。会社の売り上げのTOP1か2だったそうです。
そんなある日、インテリアコーディネーターに憧れを持つようになり、足掛かりとしてカラーコーディネーターの資格を取得する為に勉強を始めました。
その当時の生活は6時に起床、自宅に帰ると23時を回り、飯食って風呂入ってとやっていたら日付が回っていました。
そこからカラーコーディネーターの勉強をしました。床に就くのが3時~4時頃で、睡眠時間が3~2時間でずっと頑張っていました。おかげで二級まで独学で合格しましたけどね。

その時の自分は
「あ~俺今頑張ってるなぁ~。むっちゃ頑張ってるよなぁ~」
と思っていました。

ですが、電車通勤中に読んだコメディミステリー小説にこんな一説がありました。
「頑張った頑張ったって、お前は本当に頑張っているのか?倒れていないじゃないか。過労で倒れた者が頑張ったといえるんだ」
という一文がありました。うろ覚えですけどね。こんな下りの文でした。

その時にビビット来ました。
「あ~俺はまだ全然頑張っていないんじゃないのか。なぜなら倒れていないから、もっと頑張れる。頑張るべき」
そんな発見が出来ました。

睡眠時間を削り続けた結果

睡眠時間

もっともっと頑張って、倒れるまでやるわけないです。
正式には倒れるまでは出来なかったんですけど。

削り続けるというか削っても二時間は確保してました。
睡眠時間を削った生活を続けていました。

そんな生活を続けていたら、ある日から家ではまともに寝れなくなりました。
金縛りや諸々の心霊現象の様な現象で起こされるようになりました。結構怖い目にもあったりしました。
なので職場で何とか人目を盗んで寝てました(笑)
当時は家で寝れなくなったので、勉強には好都合だと思っていました。

この時にはまだ「頑張る」っていう感覚が変だという事に気づかなかったんですね。

頑張ることのおかしさ

努力二人

こんなことがあってから
「頑張るってなぁに?」
と思うようになりました。

もちろん嫌なこともする必要もあると思いますが、続ける必要はないなぁと思います。
というか方向性か。睡眠時間削って倒れるまでやるってのが、そもそも可笑しいのか。

「頑張ってるよ」のか「頑張ったのか」

それから物凄い違和感を持つようになったのが言葉が
「頑張ってるよ」と「頑張った」という言葉です。

「頑張ってるよ」への違和感は、上記の通り倒れてないやん。ですね(笑)。
いや、倒れるまでやれ!という意味では無いですよ。
「頑張った」というのも少し違和感を感じるようなってきました。

この「頑張った」への違和感が、過去形だからなのか、頑張ったその先が見えてこないからなのか、はっきりしていません。
ここは少し自分でも興味があるので、深堀してみたいと思っています。

日本語の難しさ

難しい

倒れる云々はなしにしても、どこからどこまでが「頑張る」のラインなのか明確ではないのでスッキリしないんだと思っています。
現代ではあまり気楽に使っていい言葉でもないのかなぁと思っています。
人を励ます時でも自分を励ます時にも。

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